植木等さんが亡くなりました。
植木さんといえば日本の高度成長期の真っ只中に活躍した名コメディアンでした。
あの無責任で気楽なサラリーマンの姿はある意味、時代を象徴していました。
植木さんの演じたサラリーマンの姿は大袈裟のようですが、大企業のサラリーマンの中にはあれに近いような人物も見受けられました。
私がサラリーマン時代の課長は、仕事のスケジュールをたてるとき、まず食事をどこでどの業者にごちそうしてもらうかから考える人でした。
業界の展示会などがあるときなどは絶対に昼食時をめがけていって、食事券をもらって大しておいしくもない食事をよろこんで食べていました。
メーカーの人間もあきれていて、わざと食事券を渡さないときもありましたが、そういうときは何の恥じらいもなくどうどうと要求していました。
若い部下など恥ずかしがって一緒に行くのをいやがり、とうとう私はあなたと一緒に行くのは嫌だとまで言い出す始末でした。
出張に出るときの予定を立てるのをみていたら、ここではラーメン、あそこでは寿司などと勝手に決め込んでスケジュールを組んでいました。
出張から帰ってきたらまず得意先に電話して、仕事の話はほとんどせず、あそこの何々はうまかったなどということばかり言っていました。
大手の商社だったので得意先もいうことを聞くしかなかったのです。
あるとき例のごとく昼飯を食べに旭川への出張を決めた後、部下の一人が小樽で得意先と仕事で待ち合わせをしていることを聞きつけました。
小樽は寿司で有名です。
課長はすぐに予定を変更して私も一緒に小樽に行くと言い出しました。
「小樽でみんなで寿司でも食いましょう」
部下が課長は旭川に行かなくてもいいんですかと訊くと、「いや小樽に寄ってから旭川に行く」と言います。
小樽と旭川ではまるっきり方角が違います。
部下は課長から言い出したことですし、たまには会社の経費で得意先を接待するのかなと思い、「課長は小樽のうまい寿司屋を知っているんですか?」と訊くと、「いや私は知りませんが、(得意先の)何々さんが知っているでしょう。」
元々金は得意先が出すものだと決め付けているのです。
小樽で寿司をごちそうになり、仕事にも付き合わず、大回りをして旭川に向かったそうです。
その後会社もきびしくなり、この課長がリストラされたのは言うまでもありませんが、私のいた支店にはこの他にも会社を食い物にしている人間がいました。
もしかしたら私もその一人かもしれません。